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櫻井眞一郎さん:オーテックジャパンを作った人

先に結論櫻井眞一郎さん(原文には「桜井」の表記も出ます)は、スカイラインの開発で知られる技術者で、1986年9月に設立されたオーテックジャパンの初代社長です。日産ヘリテージのレジェンドのページと、オーテックの30周年のページの両方に書かれています(2026年11月7日に確認)。何年に社長になり、いつまで務めたかは、確かめた原文に書かれていません。

この面の立ち位置

櫻井さんのスカイラインの仕事やR380は、同じ編集部の非公式のファンのサイトで詳しく読めます。このサイトでは、「オーテックジャパンを作った人」という一点に寄せて、原文を読みます。レーシングカーのR380はR380の面にまとめました。

原文で確かめられた経歴

生まれ
1929年4月3日・神奈川県戸塚(日産ヘリテージのレジェンドのページ)
入社
清水建設を経て、1952年にプリンス自動車に入った
スカイライン
初代から関わり、3代目で開発責任者。3代目(ハコスカ)から7代目まで、総指揮をとった
病気
7代目の終わりに病で伏し、伊藤修令さんが代わりを務めた。回復後、その職には戻らなかった
オーテックジャパン
初代の社長に就いた(レジェンドのページ)
顕彰
2005年に日本自動車殿堂入り
亡くなった日
2011年1月17日(81歳)

オーテックジャパンの設立と櫻井さん

オーテックの30周年のページによれば、オーテックジャパンは1986年9月に、神奈川県茅ヶ崎市で「特装エンジニアリング会社」として設立されました。ページには、初代社長として櫻井眞一郎さんが就いたと書かれています。メーカーの量産ラインでは作りにくい、少量の特別仕様の車を設計して形にする会社、という出発点です。

スカイラインのように、量産車の中心で長く指揮をとった人が、少量の特別仕様の会社の初代社長になった、という流れは、年表で見ても印象的です。ただし、「なぜ櫻井さんが社長になったか」「社長として何を決めたか」は、確かめた原文に書かれていません。そこは推測しません。

オーテックの最初の車を読む

設立から6年後の1992年に作られたのが、スカイライン オーテックバージョンです。4ドアのスカイラインに、RB26DEエンジンを積んだ車で、スカイラインを率いた人が作った会社が、スカイラインの特別仕様を作ったことになります。ただし、この車の企画に櫻井さんが関わったかどうかは、ヘリテージコレクションのページに書かれていません。「会社の初代社長」と「その車の開発者」は、別のことです。1989年のオーテック ザガート ステルビオも、設立後まもない時期の車です。

スカイラインの側から見た、設立までの流れ

ヘリテージのレジェンドのページによれば、櫻井さんは1952年にプリンス自動車に入り、スカイラインの初代から関わりました。3代目で開発責任者になり、3代目から7代目までを総指揮した、と書かれています。7代目の終わりごろに病で伏し、伊藤修令さんが代わりを務めました。回復したあとは、その職には戻らなかった、とあります。オーテックジャパンの設立は1986年9月で、年だけを並べると、スカイラインの総指揮の時期と近い年代です。ただし、スカイラインの仕事をいつ離れて社長になったのかは、原文に書かれていないので、このサイトは結びつけて書きません。

よくある質問

オーテックジャパンの創業者ですか
原文に書かれているのは「初代の社長に就いた」ことです。「創業者」とまでは書かれていないので、このサイトは初代社長と書きます。
桜井と櫻井は同じ人ですか
日産ヘリテージのページは、同じ人を「桜井」と「櫻井」の両方で書いています。このサイトでは「櫻井眞一郎」で統一しました。
R380との関係は
ヘリテージのページで、R380の開発責任者として名前が挙がっています。くわしくはR380の面へ。

読み方のコツ

この面で確かめていないこと

関連:年表、会社の今の名前、R380、田村宏志さん

出典

出典のページを編集部が開いて読み、書いてあることだけを、自分の言葉でまとめています。原文の転載ではありません。