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田村宏志さん:AUTECH・NISMOとの関わりを原文で確かめる

先に結論日産自動車の田村宏志さんは、GT-Rの開発責任者として知られる人です。2025年8月26日に公開された日産グローバルの記事には、1984年に日産に入り、オーテックジャパンで働いた時期があること、のちにGT-Rの企画に関わったことが書かれています(2026年11月7日に確認)。一方、日産モータースポーツ&カスタマイズでの役職は、確かめた原文に書かれていません。

この面の立ち位置

田村さんについては、GT-Rの開発の話が数多く語られています。その面は、同じ編集部の非公式のファンのサイトである gtr.tokyo の田村宏志さんの面 にまとめました。このサイトは、オーテックジャパンの図鑑です。そこで、AUTECH(オーテック)・NISMO(ニスモ)・カスタマイズという側から、田村さんの名前が日産の原文のどこに出てくるかを確かめます。原文に書かれていない関わりは、書きません。

原文で確かめられた経歴

入社
1984年に日産に入った(2025年8月26日公開の日産グローバルの記事)
オーテックジャパン
同じ記事に、オーテックジャパンで働いた時期があると書かれています。何年から何年か、どんな役職かは、記事に書かれていません
1990年代の中ごろ
マキシマやセフィーロの企画に関わった、と記事にあります
日産プリンス神奈川
販売会社の日産プリンス神奈川でも働いた、と記事にあります
1997年
GT-Rに公式に関わり始めた年として、記事に書かれています
2001年ごろ
次のGT-R(R35)の企画の初期に、V6エンジンと先進的な自動変速機を主張した、と記事にあります
2013年
最初のGT-R NISMOが「GT-Rの二面性」を体現した、と記事で語られています
2025年8月
R35の生産が終わったと記事にあります。現在の肩書きは「スポーツカー ブランドアンバサダー」で、スポーツモデルの企画には直接は関わらない、と書かれています

記事に書かれているのは、ここまでです。各職の年や、オーテックジャパンでの仕事の中身は、記事に出てきません。このサイトも、推測では埋めません。

肩書きの読み方

2013年11月16日付の日産ニュースルームのプロフィールでは、田村さんの肩書きは「日産自動車 ニスモビジネスオフィス 兼 商品企画本部 第一商品企画部 チーフ・プロダクト・スペシャリスト」でした。前半の「ニスモビジネスオフィス」は日産社内の部署の名前で、後半のチーフ・プロダクト・スペシャリストは、商品を企画する側の肩書きです。日産の車づくりとNISMOの事業を、両方つないでいた立場と読めますが、このサイトは、NISMOの会社としての人事の話とは区別して、肩書きの字面だけを書きます。

2025年12月17日の東京オートサロン2026の出展概要では、肩書きは「スポーツカー ブランドアンバサダー」になっています。2026年1月9日・10日・11日のフェアレディZのトークショーに登壇する、と書かれています。同じ発表には、NISMOのMT車やリーフのAUTECHの展示も書かれています。くわしくは東京オートサロン2026の面へ。

日産モータースポーツ&カスタマイズとの関係

2022年4月1日、オーテックジャパンとニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモの会社)が統合して、日産モータースポーツ&カスタマイズ株式会社ができました(会社の面)。2021年12月17日の発表では、社長は片桐隆夫さんと書かれており、田村さんの名前はありません。2022年3月24日付のオーテックの組織・役員人事のお知らせの本文にも、田村さんの名前は出てきません(別紙のPDFは、文字を読み取れなかったため、中身は確かめられていません)。したがって、「田村さんが日産モータースポーツ&カスタマイズで何の役職か」は、このサイトでは書けません。

AUTECHの目で読むと

問い原文で言えること
田村さんはオーテックジャパンにいたかいた時期がある、と日産グローバルの記事に書かれている(年・役職は不明)
AUTECHブランドの担当か確かめた原文に書かれていない
NISMOの事業と関係があるか2013年の肩書きに、部署名として「ニスモビジネスオフィス」が入っている
日産モータースポーツ&カスタマイズの役員か確かめた発表・人事の本文に名前がない
いまの肩書きスポーツカー ブランドアンバサダー(2025年12月17日の発表)

よくある質問

田村さんがAUTECHの車を企画したのですか
原文では確かめられません。オーテックジャパンで働いた時期があることまでが、書かれていることです。
NISMOとAUTECHの両方に関わった人ですか
オーテックジャパンで働いたことと、肩書きに「ニスモビジネスオフィス」が入っていたことは、どちらも原文にあります。ただし、両ブランドの責任者だった、とまでは書かれていません。
GT-Rの話はどこで読めますか
同じ編集部の非公式のファンのサイトの gtr.tokyo の田村宏志さんの面 に、GT-Rの側から書いています。

この面で確かめていないこと

関連:会社の今の名前、AUTECHブランドの成り立ち、櫻井眞一郎さん、年表

出典

出典のページを編集部が開いて読み、書いてあることだけを、自分の言葉でまとめています。原文の転載ではありません。